専門医とかかりつけ医 [HEART WEB NEWS]
2009年5月7日 日本心臓財団 HEART WEB NEWS
日本心臓財団から1月に1度のHEART WEB NEWSが届きました。
【ドクターのつぶやき】のコラムには「かかりつけ医をもつこと」という記事が記載されていました。
私は◆先生は、私の「かかりつけ医」だと誤解していたようでした。
◆先生は循環器科の専門医でした。「病院の専門医には異動があり、同じ病院に長く留まって診てくれるという保証はない」ということです。
20数年前、総合病院が近いからと購入したマンションに引っ越してきました。
その時にはこの病院は普通の市民病院でした。
越してきて1週間もたたずに、喘息が再発したりして、その後もお世話になってきました。
つき日が流れ、格付けが上がって、紹介状がないと診てもらえないとか、完全予約制だとか、敷居の高い病院になっていったのです。
ただし、まだ、自宅からは一番近い病院でもあります。
自宅の近くに「かかりつけ医」を持つということは重要なことだと思います。
家に一番近いのだから、やっぱりこの病院を「かかりつけ病院」としたい!
「かかりつけ病院」のお医者さんは、やはり「かかりつけ医」であってほしい。
23:31 就寝時
心電図所見:J 拍動が一定ではありません。心拍数 58
就寝時には単発の期外収縮がみられます。
散歩の途中に咲いていたアヤメ?カキツバタ?
生涯を通してみてみることが大事 [HEART WEB NEWS]
2009年6月1日 日本心臓財団 HEART WEB NEWS
【ドクターのつぶやき】に次のような記載がありました。
「人をみるには、ある時期の一つの断片だけでなく、生涯を通してみてみることが大事である」
5月の記事「専門医とかかりつけ医」にあてはめると、
専門医は「ある時期の一つの断片だけ」
かかりつけ医は「生涯を通してみてみる」ということになるのでしょうか?
そうすると、専門医って悲しすぎる。
循環器科の専門医になって、さらに、不整脈の専門でカテーテルアブレーションのテクニックは抜群ていうことになったとしても一生涯診る事はなく(診てもらえるわけではなく)断片でしかない・・・
一生涯みてみることが大事って、断片だけではわからない、わかりあえないっていうこと?
続けてみてみることが大事っていうことなのに・・・
終わったら、経過観察もしないで、はい、さようならなんて
やっぱりまちがっている。
スプーンいっぱいの優しさ? [HEART WEB NEWS]
わがままを言ってる訳ではない
日本心臓財団、9月のHEART WEB NEWSには、患者と対するとき、
「煩わしさを厭うことなく、これだけの優しさを保ち得ているだろうか、と反省した。」
とつぶやいているドクターがいる。
これだけの優しさとは、受験勉強している高校生がいとこの1歳の子と一緒になって遊んであげる。
しかも1歳の子が満足してどこかにいくまで自分の勉強中のノートに落書きさせてあげて、さったあとにひとりでノートの落書きを一生懸命消すというものだ。
患者は医者からみるとそんなにわがままなのだろうか?
患者は、ただ、自分の病状のことを知りたいだけ・・・
主治医だった循環器の専門医の◆先生は、心臓以外の話をすると「それは心臓のこと?」と露骨にいやな顔をした。
閃輝暗点が起きた時、いろいろな検査をしたけれど脳や眼には器質的な異常はなかった。
その頃、時々心臓が痛くなっていたので、
「心臓が痛くなるときがあります。閃輝暗点も起きますが、脳の血管が急に収縮して一過性の虚血状態になるからと聞きま・・・」
話しの途中で、すかさず、先生が 「それは心臓のこと?!」
「閃輝暗点は違います。急に血管が収縮するのは脳だけでなく、心臓の血管にも起きるのですか?
時々、心臓にも痛みを感じます」
「どこが?肋間神経痛じゃない?」
・
・
・
心臓が痛くなることだけを言えばよかったのかな?
でも、心臓でも脳と同じように血管が急に収縮して一過性の虚血状態を引き起こすことがあるのかどうか知りたかった・・・
スプーンいっぱいの幸せ? ではなく優しさがあれば・・・
2カ月に1度の診察なのだから1分くらいは話を聞いてくれてもいいんじゃないの?
でも、1度だけ、こんなことがありました。
診察室に入ると白衣を脱いでモスグリーンのTシャツを着た◆先生がいました。
「白衣高血圧」 だから気遣って、白衣を脱いでいてくれたのですか?
私がどういう反応をするか見てみたかったのですか?
それとも、やっぱり、ただ、暑かっただけかな?
・
・
・
う~ん、もしも気遣ってくれたのだとしたら、他のことでしてほしかった・・・
本当に残念ですね! 私、ずーっと白衣着て仕事をしていましたから・・・
気遣ってくれるなら、他のことでしてほしかった・・・
ほんの少しだけでいい・・・スプーンいっぱいの優しさ?・・・かな?
小さな白い花、何の花?
ひっそりと可憐に咲いているのがいじらしい。
患者の自己責任:それは病院選びから [HEART WEB NEWS]
2009年11月2日 日本心臓財団 HEART WEB NEWS
ドクターのつぶやきは、パターナリズム Paternalism
Wikipediaで調べてみると、
強い立場にある者が弱い立場にある者の利益になるようにと、
本人の意志に反して行動に介入、干渉することをいう。
日本語では「父権主義」「温情主義」
ラテン語のpater(父 パテル)が語源。
旧い時代に医療現場では医師と患者の関係はパターナリズムであった。
当然、医師が「強い立場にある者」、患者が「弱い立場にある者」である。
「患者の利益か患者の自己決定の自由か」 との議論のすえ、
自己決定を優先するためインフォームド・コンセントを重要視する傾向になってきている。
コラム記載の医師は、
「ひたすらに患者の幸せを考えることに使命感をもっていた旧いパターナリズム時代の医者は出番がなくなって、いささか寂しい思いで過ごしているのが現状である。」 と記しているが、本当にパターナリズムで治療していただけるのであれば、患者は楽である。
そのような医師がいたら大歓迎である。
でも、実際はどうだろうか?
専門医とかいって、ヒトを部分的にしか診ない、部分的なことしか知らない医師が多いのが現状である。
知らないならば、他科を受診するように言ってくれるのならまだ良いが、
知ったかぶりの診断で、誤診するケースも多々ある。
こういう医師にかぎって、インフォームド・コンセントもいいかげんである。
どうこう言っても患者が病院を選び、医師を選び、治療法を選択する。
患者の自己責任は病院選びからはじまっているのだ。
失敗し、誤診されて苦しむのは患者、自分自信なのだから・・・
医師はたとえ誤診しようと、責任を取るようなことはない。
医師に誤診された患者の苦しみ、痛み、辛さを少しだけでも分け与えることもできない。
パターナリズムが否定されている。
こういう時代に、医師と患者の関係は対等であってほしいが、そうでもない。
やはり、強い立場にある者と弱い立場にある者、その関係だけは変わっていない。
特に婦人科の医師は、少ないと、もてはやされているためか、この傾向は強い。
さらに、履き違えている看護師も少なくない。
人目に着く部屋では、いかにもきちんとしていますという処置・態度でも、
患者と1対1になるような場面では、「私が造影剤投与しなければ、困るのはあなたよ!」
みたいな態度を示す、本当に陰湿きわまりない。
患者に苦痛を与えて、ストレス解消でもしているのかな? って思えるくらいな人も中にはいますよ。
投与に失敗され、漏れた造影剤のため、腕にしこりができています。
こういうことを大きな声で言ってはいけません。
見て見ぬふりをするのですよ。
「私、何も聞いていませんよ。」 ってがまんしている人も多いと思う。
思い切って、病院に意見書を出そうよ。
総合病院であれば、だいたい、意見書を受け付けていますよ。
より良い、治療を受けるためにも、がまんするだけが良いことではないと思います。
脈を診ること [HEART WEB NEWS]
今月のHEART WEB NEWS のコラム、
ドクターのつぶやきのタイトルは「脈を数える」
前の主治医の◆先生は、
診察の際に脈を診てくれました。
でも、ちょっと一瞬、1秒触れているかどうか?
それで、「まだ、ちょっと速いね!」
(う~ん? わかるのかな?)
診察時に、いつもは60から70拍/分くらいの心拍数が125拍/分くらいに増加します。
ちょっとさわって2拍したら、速いっていうことですかね?
コラムを記載したお医者さんは、
脈拍数を数えるのに、秒針付きの懐中時計を愛用しているそうです。
そういうお医者さんだったら、よく診てくださるに違いない。
コラムでは、
脈診は昔から診察行為の中心になっており、
中でも、もっとも客観的なのは脈拍数であること、
正確な時計のない時代にどのようにして、脈拍を数えたのだろう?
自分のと比較したのかも知れない。でも、どうやって?
旧い時代の人々は大らかであったに違いない(診察も大らかに行なわれていたに違いない)、
と思い、考えることは際限なく楽しいと結んでありました。
不整脈を感じるようになってから、自分でも脈をとるのがくせになりました。
感じたときにすぐに脈に触れて、時計の秒針を見ます。
息を止めていると正常に戻るのがわかります。
もっと大らかに、もっと大胆に、いや、もっと繊細に?
脈をとるのがいいのかしら?